頑張れ!PJ・平藤清刀さん

PJとは、livedoorニュースパブリック・ジャーナリストのことである。要は、市民記者みたいなものである。http://news.livedoor.com/category/date/38/

PJのなかで気炎を吐いているのが、平藤清刀氏である。氏のblogで記事一覧を見ることができる(http://blog.livedoor.jp/oushi/)。

中越沖地震について書かれた7月17日の記事では、避難所へ上がりこんでお年寄りや怪我人に何か喋れとマイクを突きつける在京マスコミの取材姿勢を批判している。

7月3日の「久間防衛相を敢えて擁護してみる」では、久間発言に対するバッシング報道を批判し、原爆の投下が日本の無条件降伏を促したこともまた事実であると記している。その上で、久間発言の真意を、原爆投下 → 日本の降伏を促す → ソ連による北海道占領を免れるという、一つの歴史認識を示したものとして理解している。

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思うに、「莫迦げている」と「妥当でない」の2つは分けなければならない。おおよそ真面目に考慮するに値しないような「莫迦げた」見識であれば、バッシングされてしかるべきである。これに対して、議論として一応成り立つものの「妥当でない」見解というのもあるはずである。これについては、冷静な批判と検討に付されるべきである。

では、「原爆投下 → 日本の降伏を促す → ソ連による北海道占領を免れる」という見方は、おおよそ成り立ちえないのだろうか。議論と検討に値しないほどに「莫迦げた」発言なのだろうか。「問題発言」というレッテルの下に、議論を封殺し、思考停止に陥っているのではなかろうか。

このような議論封殺・思考停止を助長する、一部メディアのやり方には警戒しなければならない。普段は、政治家に対して「歴史認識を示すべきだ」と要求しておきながら、ひとたび政治家が歴史認識を披瀝したとたんにバッシング攻撃に出るというのが、彼らのやり方なのであるる。彼らが「政治家は歴史認識を示すべきだ」と言うときは、「(我々の考えに合致する)歴史認識を示せ」という意味である。

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7月6日の記事も、優れている。久間発言の後、米高官のロバート・ジョゼフ氏が、「原爆の投下は正しかった」と発言をしたのであるが、この米高官発言に対して野党もマスコミも反応が鈍いのはどういうわけだろうかと皮肉を投げ掛けている。同感である。

ところで、朝日新聞は、久間発言の際には社説を使って久間批判を展開したのだが、ジョセフ発言については音沙汰なしであった。どういうわけだろうか。