井上達夫の憲法9条削除論

秋月瑛二の「団塊」つぶやき日記(http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/766958/)を読んだ。

上記記事においては井上達夫が批判されている。
しかし、井上は、単純な「護憲論者」でもなければ、秋月氏が嫌う「左翼」とも言い難いと思われる。
なぜなら、井上は「憲法9条削除論」を主張しているからである。

昔書いた井上論文の紹介記事を、以下に再掲する。

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井上達夫(東大法学部教授)が、憲法9条の削除論を主張している(論座編集部編『リベラルからの反撃』2006年・朝日新聞社)。井上はわが国の法哲学界を牽引する研究者であり、珍論暴論として片付けることはできまい。

井上は、まず改憲派の欺瞞を次のように曝く。

「『押しつけ憲法』を峻拒する改憲論者も、『押しつけ農地改革』を同様な峻厳さをもって否定していない。…『占領勢力に押しつけられた改革も結果的に実益があればそれでよし』とするのは自己欺瞞である。」

次いで、井上は、護憲派の欺瞞も曝く。

護憲派は彼ら自身を含む国民全体が絶対的平和主義によって課される『殺されても殺し返さずに抵抗するという、極めて重い苛烈な責務』を回避して、自衛隊・安保によって供給される防衛サービスという公共財を享受し続けることを事実上容認しながら、その規範的認知は留保して、9条に対する自らの絶対的平和主義的解釈を温存することが可能になった。」

自衛隊と安保がわが国には存在する。これらが第三国に対する抑止力となってわが国の安全が保障されている現実がある。護憲派は、本来であれば、このような利益を拒否しなければならない。しかし、護憲派は、「9条がなかったら、もっとひどくなっていたはずで、それに比べればまだまし」という巧妙な論理により、かかる利益享受を不問化している欺瞞があるというわけである。

 
巷に流布する改憲論・護憲論のいずれをも斥けた井上の結論は、9条の削除である。

「9条と乖離した現実が改憲派のみならず護憲派によってもなし崩し的に受容されてきた戦後の政治状況・思想状況が、どれほど憲法の規範性を『嘘くさい念仏』として茶番化し、日本における立憲主義の確立と発展を阻んできたか」
「9条がはびこらせる政治的欺瞞は立憲主義の精神を蝕んできた。憲法の本体を救うために、この病巣を切除することこそ、真の護憲の立場である」。

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井上の立論を敷衍すると、次のようになる。

憲法違反の行為は無効である。そもそも憲法とは、それに違背する政府の行為を無効化するという極めて強力な法なのである。

自衛隊の設置も政府の行為である。したがって、9条について絶対的平和主義の解釈を採った場合、自衛隊憲法違反でその存在自体が無効であるから、即刻解体されなければならない。

しかし、戦後のわが国は、上記の政治的欺瞞の下に、憲法違反のはずの自衛隊・安保の存在を温存してきた。憲法違反のものが現実に存在しているなどというのは、憲法の強力な規範力の下では本来ありえないことである。

このことは、国民にとって、「憲法の規範性を『嘘くさい念仏』」だと認識させる事態を招いた。憲法あっても役に立たずという無力さは、わが国における立憲主義の確立と発展を阻んだのである。